本日の清掃活動は
平家物語でも有名な「俊寛僧都墓碑」の草刈りです
墓碑横の説明書き・ネットを参考にしました
《治承元年(1177)平家打倒の密議(鹿ヶ谷の謀議)が露見し、藤原成経、平康頼とともに鬼界ヶ島(硫黄島)に流されたとされています。成経と康頼は後に許されて京に戻りますが、俊寛僧都はこの地で亡くなります。 》
碑ははじめ、江戸中期の宝暦6年(1756)に建立されますが、天保14年(1843)の台風で倒墓れてしまいます。その後弘化2年(1845)に再建されたものが今日まで残っており、長崎市(旧伊王島町)の指定文化財になっています。江戸時代の中ごろには、俊寛が流された島がこの伊王島であると信じられていたようです。
墓碑の隣には、北原白秋の歌碑が建っています。風化がひどく不鮮明ですが、昭和10年、俊寛の墓所を訪れた白秋が「伊王島」と題して詠んだ長歌と反歌です。昭和25年に地元の文人たちによって建てられたものです
蚊が多くて虫除けは余り役に立ちませんでしたが





何とか綺麗に清掃活動は終わりました
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